過去の自分と比べる

どうすれば幸せになれるか

他人と比べるのはダメ

今、いかに自分が恵まれているかを考えることは、自分に自信を持ち、毎日を有意義に過ごすために大切なことのように思う。

その方法として、自分より不幸せな状況にいる人と比べることで、自分を幸せだと考えることはやめようと思う。それをしてしまうと、いつまで経っても他人と比べることを辞められず、自分を幸せにはしてくれないと考えているからです。

収入を他人と比べても、上には上がいます。生きるのに必要十分な収入を得るようになったとしても、「あの人はあんなにお金を持っている」「あの人は自分より高い車に乗っている」「あの人は大きな家に住んでいる」など、見栄のために気を付けなければならないことが増えてきます。

たぶん、他人より上に行こうとする意識では、本当の意味での幸せには近づいていかないような気がするのです。こんな年寄り臭い考え方では、僕個人の人生にとって良くないかもしれないと言われることもありますけど、脳みその無い頭で未来を考えると、どうしてもこんな考えになってしまうのです。

でも自分の過去と比較するのは悪くないのではないでしょうか。実際、昔の自分はとても不幸せだと感じていました。なので、現在の自分の状況というのはとても良いものに感じます。

まだまだ経済的にも不安定だし、自分のしている物理の勉強も基礎の部分を出ません。

この前、母親にも「知り合いに会ったら、あんたのこと何て言えばいいかわからん。」とも言われてしまいました。僕は、「今満足しながら生活してるんだから気にせんとって。」と言いましたが、母親が友人たちと会っているときに、そんな気分にさせているのはまだ僕は「親不孝者」以外の何物でもありませんね。もっと頑張らねば。

でも、過去の自分と比べると本当に幸せなんです。歳は上がっていくし、収入も全然、結婚を考えられる相手も今のところいない。それでも数年前の自分のことを考えると、今は自分に合った正しい道を歩いているような気がするんです。

 

過去の自分

その頃の自分を思い出そうとすると頭が痛くなるぐらい、自分でも拒絶反応が出ます。書くのもためらってしまいます。お先が真っ暗というのは、あのことなんだと思います。僕が心苦しかったのは、周りから見るとそんなに悪い状況に見えなかったことです。

それは最初の大学生時代。

高校時代、サッカーをしていたんですけど、最後の試合というか、最後の大会に出させてもらえず、大学では花を咲かせようと思って続けるが、そこでも日の目を見ることはなかった。自分の成長を一番感じた時期であったけど、精神的に不安定になり始めた。小さなことに気が向くようになった。自分の繊細さに磨きがかかったようだった。それらを払拭するような大きな自信や強い気持ちが備わってなかった。サッカーに集中できなくなって、辞めた。

こんな自分でも、サッカーは生活の一部というか、人生だったんだ。プロになりたかったんだ。家族には、「サッカーのないあんたなんて考えられない」と泣き出した。泣きたいのは僕の方だった。

 

サッカーを辞めた分、もっと新しいことを勉強できると期待した。時間があるんだから、なんでも勉強できると思った。その時、すでに自然科学に興味があったんだと思う。でも大きく舵を切ることはしなかった。学部は社会学部だったし、大学も決して悪い大学ではなかった。今できることをしようと、社会学や哲学といった文系の勉強をした。

よく勉強してみると面白いものだった。受験勉強がなかったので、デカルトやニーチェといった名前もよく知らなかったけど、彼らの考え方を勉強することで、「本当に考えるとはどういうことか」を学んだ。それは知的好奇心を満たすのには十分だったけど、僕の人生を方向付けるには至らなかった。むしろ答えのない命題をぐるぐると思考を巡らすことで、哲学のどつぼにハマっていったように思う。物事を考える力は付いたかもしれないけど、実際的なものや活かし方は全くわからなかった。

そして、自分の精神状態は過去最悪なものになっていった。まず家の外に出るのが怖くなったのだ。自分を見る人全てがあざ笑ったり、憐れんでいるように思えた。その被害妄想は日に日に拡大していき、家族に当たることも多くなった。苦しかった。死んだら楽になるんだろうかとも頭の中をよぎった。いつも心臓が締め付けられるようで、何も手に付かなかった。頭が働かないので、出来ることはYoutubeやニコニコ動画でゲームの実況なんかを観るだけ。1日そうやって時間をつぶし、夜になって「なんてつまらない1日を過ごしたのだ」と自分を責める。そしてまた心臓が痛くなる。負のスパイラルだった。自分のことを簡単に病気だと言いたくはない。もっと苦しんでいる人は、他にもたくさんいるのに、僕を病気だと思うのは不適切だと思った。今になって思う。じゃあ、あの時の僕は何だったのだろうか。

 

登るべき山の中にいる

こう書いていると、尚更今の自分が健康的に思える。現状、まだまだ底辺かもしれないけど、今の自分にできることがあるし、これからもっとできることを増やしていきたいと思える。昔と違うのは、何となくやるべきことがわかっているということだ。当時は、登る山も決まっていなかったし、決まったとしてもその登山口に行く方法さえわからなくて、道に迷っていた。でも今はひとつの山を登っていると思える。

 

今日も1日がんばろうと思えます。

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