犯罪者イコール悪人というわけではない

テレビのニュースでは、毎日なにかしらの事件が紹介される。

中には、容疑者を逮捕した時の様子が映しだされている。

ある人はその容疑者に向かってこう言うだろう。「なんて悪い奴だ」

僕には、なぜそういうことが言えるのかわからない。だって“容疑者”と出ている以上、その人が犯罪者かどうかまだわからないじゃないか。

そして僕が容疑者に向かって失礼な言葉をかけるのがふさわしくないという理由は他にもある。というか実際に裁判で確定され、その人が本当に犯罪者であったとしても、この態度は貫きたいと思っている。

もちろんその裁判が間違っていたということも無きにしも非ずだし、僕にとってはもはや犯罪者かどうかはどうでもいいのだ。たとえその人が犯罪者であっても、何の関係もない一般人の僕たちが本当のことを知ることはない。テレビで流れていることは真実でないかもしれないし、テレビで流れていないことの方が大事かもしれないのだ。そんな限られた情報の中で物事を判断するのは正しいことなのだろうか。

犯罪者というのは裁判で裁かれた人のことをいう。罪状は殺人だったかもしれない。殺人は悪いことなのか?聞こえは悪いかもしれないけれど、その人の気持ちを考えれば、妥当性を感じられる部分もあるかもしれない。殺した相手が自分の親を自殺に追いやった張本人だったら?目の前で恋人が襲われそうになったのを守るために相手と揉み合っているうちに殺してしまっていたら?僕の想像力ではたくさんのシチュエーションは浮かばないけれど、巷にあふれる小説を読んでみると殺人犯に共感できるような場合も多いではないか。

そういったたくさんの可能性があるにもかかわらず犯罪者や、ましてやまだ犯罪の確定していない容疑者に対して妙なレッテルを張るのはナンセンスだと思う。それは僕たちのやるべきことではない。テレビに流れてくるニュースに振り回されるのではなく、自分のことに注視していくべきだ。

極端な話、テレビの中の出来事のほとんどは自分には関係のない話だ。よっぽど芸能関係の仕事についていない限り、誰かが不倫しただの、結婚しただのというゴシップ的なニュースは特に関係ない。たまに冷たい態度に聞こえるらしいけど、関わりたくても関われないのだ。そういう意味では、一種の諦めのような気持から来るスタンスなのかもしれない、と今思った。

悪人は他にもたくさんいる。本当の悪人とは、法の目をかいくぐって悪さをするズル賢さをもっているのだと思う。法律というのは誰かの決めたルールに過ぎない。それを守ることが正義ではないだろうし、守らないことが悪とは言い切れないであろう。

正義とは何か

悪とは何か

考えることは、とても重要なことのようにみえる。

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